ニコ・クラニチャルの歩み |
|
|
旧ユーゴ時代のスタープレーヤーであった
父、ズラトコの息子として生まれ
幼年期はオーストリア(ウィーン)で育つ。 |
* * * * * |
その後ザグレブに戻り、ディナモ・ザグレブに入団。
すぐに天才振りを発揮し弱冠16才でトップデビューを
果たす。
|
Uー16欧州選手権ではキャプテンとして出場。
優秀選手に選ばれチームも3位。
Uー17世界選手権にも出場。 |
18才で名門ディナモ・ザグレブのキャプテンに
03/04シーズンには通算10得点を挙げ
3シーズン振りのリーグ優勝を達成!!
国内では誰もがニコをスタープレーヤーと認めはじめる。 |
2003シーズン、自身2度目となる国内カップ優勝 |
代表初召集は2003年11月15日スロベニア戦。
しかし、Uー21代表としてもプレーしていたため
Uー21欧州選手権を優先との事で代表デビューは
先送りとなる。 |
クラニチャールはディナモでの黄金期を
迎えようとしていた矢先に監督との確執が表面化する。
更にニコは成績が思わしくない事を原因に
ディナモの副会長(マミッチ氏)とも衝突!! |
2004年8月18日
イスラエル戦で初のキャップテンとして出場。
EURO2004ではまさかの代表落ち・・・
(その時監督のオットー・バリッチに嫌われて??) |
04/05シーズン途中にディナモの一番のライバル
ハイデュク・スプリトへ電撃移籍!!
↓
途中加入ながらハイデュクでリーグ優勝!! |
現在代表は監督であり父親のズラトコ・クラニチャルの
元で中心選手として大活躍。
周囲から疑問視される声など聞かれたが
ホームでのマルタ戦のプルショへのアシストや
アウェーでのブルガリア戦で魅せたワンタッチで
DFをかわし決めたゴールなど
能力&プレーセンスの高さをかんじる。 |
2006年にハイデュク・スプリトから
プレミアリーグのポーツマスへ移籍。 |
2006W杯に出場。
中心選手として活躍するも予選リーグで敗退。 |